日本が日帝時代に韓国からハングルを奪ったという嘘

日本が韓国からハングルを奪ったという嘘
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今回は韓国人が良く言うところの「日帝時代に日本人がハングルを奪った」という嘘についてまとめます。

奪ったどころか日本は韓国のハングル教育に多大な力を注いでいました。

この辺り、ハングルの歴史も含めてまとめていきます。

(2021年1月に1年ぶりに大幅更新。表などを入れて分かりやすくしたので以前見た人もチェックしてください)

(その他の韓国の嘘や日韓問題はこちら⇒韓国の嘘、日韓問題シリーズまとめ

目次


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ハングルの歴史:李朝末期におけるハングルの誕生

もともと韓国では中国から伝わった漢字のみを使っていました。中国からの弾圧があったので独自の文字を使うことが許されなかったという事情もあります。

そのため朝鮮独自の文字が生まれるのは遅く、ハングルが誕生したのは李氏朝鮮第4代王の世宗の時代とされています。15世紀半頃の話ということで今からわずか550年ぐらい前のことです。

  • 韓国で独自の文字が生まれたのは15世紀頃
  • ただし李氏朝鮮時代はほとんどハングルは使われず
  • 李氏朝鮮末期、1886年に井上角五郎の協力によって初めて新聞・公文書(官報)にハングルが登場
  • 日韓併合時代に漢字+ハングル語の教育も行われる(第二次世界大戦終戦近くに停止)

およその流れは上記の通り。これだけ見ると日本がハングルの貢献に大きく貢献したことが分かります。それなのに何故奪ったことになっているのか?その辺り詳しく見ていきましょう。

 

李氏朝鮮時代は漢字がメイン

朝鮮(韓国)においてハングルは15世紀頃に生まれましたが、その後もハングルはあまり広まりを見せませんでした。

清国(中国)の従属下にあるということで漢字が重視される一方でハングルは軽視されたのです(漢字以外を使うなという清国からの圧力もあったことでしょう)。

日本でもかつては地位が高い人は漢字を勉強し、地位が低い人は仮名を使っていたとされています。その辺りは日本も朝鮮も事情が似ているのかもしれません。

 

朝鮮で初のハングル使用の新聞・公文書(官報)

そうしてハングルはなかなか広まらず、朝鮮で初のハングル使用の新聞・公文書(官報)が出たのは李朝末期(1886年)と言われています。150年ぐらい前の話ですから、比較的最近の話です。

しかもこの新聞・公文書(官報)は、朝鮮の開化派と朝鮮国の日本人顧問である井上角五郎の協力によって作られたものとされています。

すなわち日韓併合時代よりも以前に、日本人がハングルの普及に努めていたわけです。

 

日韓併合時代のハングルの普及

その後、1910年に日韓併合となり日本は多くの学校を作って教育を実施し、ハングル文字(漢字+ハングル)の普及に務めました。

 

日本が識字率向上に役立つとハングルを絶賛

日本人がハングルは朝鮮にとって世界に誇れる宝物と絶賛

1927年(昭和2年)の朝鮮・東亜日報によると「ハングル運動の意義と使命」ということでの記事がありました。

「ハングルの整備は朝鮮固有の文化樹立にあたって、重要な地位を占める。それだけでなく先述した文盲打破運動のためにも学びやすいということで、より更に整理する必要性を感じる。ハングルが朝鮮人の独創的なものであり純粋な表音文字は簡単で自母音に分解されており世界に誇れるほどの宝であることは勿論である」としています。

すなわち日本もハングルの素晴らしさを感じ取り絶賛しているのです。そして韓国の識字率向上にハングルが役に立つ、ハングルの整備が必要(教育体制の整備が必要ということでしょう)と訴えていたわけです。

先にも書いたように李氏朝鮮時代は漢字がメインでハングルは中国などの圧力などにより広がらなかった。それを何とかしようと普及に動き出したのが日韓併合後ということになります。

すなわち日本はハングルを奪ったどころかその普及に尽力したのです。

 

日韓併合(日帝)時代のハングル教育

日韓併合より以前の李氏朝鮮時代は一般人の教育機関は皆無だったとされています(特に女子への教育は無し、ただし小さな寺小屋のようなものはあったと言われています)。

当然、義務教育制度もなく大多数の朝鮮人は読み書きができない状況だったとされています。

その後、日韓が併合し日本統治下になると朝鮮総督府により学校教育における科目の一つとしてハングルと漢字の混用による朝鮮語(漢字+ハングル)教育が導入されました。

そのため、朝鮮語(漢字+ハングル)の識字率は一定の上昇を見たとされています。

識字率の上昇によってハングルで書かれたタクチ本が1920年代から1930年代にかけて大流行したとも言われています。すなわち日本が韓国、そしてハングルの発展に多いに貢献したと言えるでしょう。

(参考:タクチ本:wiki)

(日韓併合時代は韓国が弾圧されていたという嘘も多いのですが表現の自由もあり、娯楽もあり、多くの人は幸せに過ごしていたということです。弾圧されていたら娯楽などありえないでしょう)

その一方で識字率はそれほど上がっていなかったという説もあります(日本の韓国への貢献を認めたくない勢力の説ですが一定の説得力があるので確認することをおすすめします)。

日本が韓国に貢献したと考えたい人にとってはこの事実は残念かもしれませんが、識字率がそれほど上がっていないという説もあながち間違ってはいないと思われます。

(この辺りはデータの見る角度でも変わってくるので諸説あると考えてください)

識字率がそれほど上がっていないというのは、朝鮮語(漢字+ハングル)という形が当時の朝鮮の人達にとって難しかったからだと思われます。ハングルのみならば覚えも早かったでしょうがいきなり朝鮮語(漢字+ハングル)という形は教える側も覚える側も大変だったことでしょう。

また、日本語と両方学んでいたために両方を覚えるのは大変だったという事情もあることでしょう。

ただし、どちらにしろ日本がハングルの普及に多大な力を注いでいたという事実は間違いのないところです。

 

ハングル文字の教科書も

ハングル文字(漢字+ハングル)を教える教科書もありました。

その教科書を作ることだけでも多大な努力がなされたことでしょう。ハングルを奪うどころかハングルの教育に力を注いでいた証拠が間違いなく存在しているということです。

しかも5000以上もの学校を作ってたくさんの学生を受け入れていたわけで、学校だけでなく教科書の数だけでもかなりのものです(学校の数も諸説あるのでご了承ください。ただし貢献したのは間違いないところ。wikiでは「小学校も統合直前には100校程度だったのが、1943年(昭和18年)には4271校にまで増加」とされています)。

たくさんの数の学校があり更にはその何十倍もの生徒がいる。教科書を作るだけでもとんでもなく大変な作業だったことでしょう。それを当時の日本がやったのです。(その事実は本来ならば、韓国人ならば頭の下がる思いではないのでしょうか?)

1920年代のハングル文字(漢字+ハングル)の教科書はネットでも良く出てきます。そして1930年後半ぐらいまでは学校でハングル文字(漢字+ハングル)を教えていたと思われます。

(日韓併合時代の教科書資料⇒日本統治時代の朝鮮の教科書(針原崇志))

 

ハングル教育の禁止?

その一方で、ハングルが教育現場から消えた歴史もあります。

もともとはハングル(漢字+ハングル)の授業も必修科目として行われていましたが、1938(昭和13)年以降は朝鮮語教育は必修科目ではなくなったとされています。また、1941(昭和16)年以降は朝鮮語の授業は行われなくなったとされています。

これらの事実だけで「日帝がハングルを奪った」と主張する意見もありますが、それはさすがに無理があるでしょう。戦争が激しくなったほんの数年の話です。

それまで数十年は「ハングルの普及に貢献」していたわけで、その年数の違いから考えたら「ハングルを奪った」という言葉はあまりにもひどい侮辱です。

また朝鮮語の授業が行われなくなった背景も考える必要があります。

学校の教師が日本語と朝鮮語の両方を教えることの困難さは計り知れないものがあります。現代でも第2外国語を覚えるのは大変ということは誰もが知るところでしょう。現代の高校、大学でも困難なことを当時の小学校に求めるのは無理。

そもそも当時は日韓併合ということで韓国も日本と同じ扱いでした。

そのため、教育も日本語が主流になっていったのは仕方がないことでしょう。ハングル教育を積極的に禁止したというよりは、効率的な教育普及の流れの中でハングル教育の重要性が下がっていった、そのために教育現場から消えたと考えるのが自然。

さすがにこの流れで日本が韓国からハングルを奪ったとするのは無理があります。「日本は大韓民国にハングルを普及させようとしたが戦争が激しくなりそれを断念した時期もあった」と表現するのが正しいのではないでしょうか。

 

ハングル文字を禁止したわけではない

すなわち、日本がハングルを奪ったというのは真っ赤な嘘ということです。

その証拠に、1940年代になってもハングル文字の新聞などが普通に発行されています。

仮に日本がハングル文字を禁止していたならばハングル文字の新聞も発行禁止となっていたことでしょう。日本語の新聞のみが発行を許されるはず。

でも現実には日韓併合時代にも先のような新聞が発行され、しかもその新聞を見れば韓国人が日韓併合時代を楽しんでいた様子が見て取れます。韓国では残忍な日帝時代みたいな表現しますが終戦に近い時期でもそのような様子は全くなく当時の新聞からは趣味や娯楽もある、ほのぼのと生活を楽しんでいた様子しか見えません。

日本や韓国の教科書では日韓併合時代は日本が韓国を占領し植民地化し、まるで日本が韓国を虐げていた悲惨な時代のように記述されていますが、それも真っ赤な嘘ということです。

それどころか日本は当時時代遅れだった韓国に現在のお金で63兆円ものお金を投資して道路や鉄道などのインフラを整備し、5000校以上もの学校を作り(注:学校数には諸説あり)、工場を多数作り、田畑を整備して生産性を向上させた。日本が朝鮮に対して多大な貢献をした時代だったのです。

(参考:韓国は植民地ではなかった?

もちろん日本が大韓民国のために全てを投げ売って尽くしたとまでは言いません。日本が韓国を併合することによって欧米に負けずに強くなろうという意思があったことでしょう。多少なりとも見下していた部分もあったことでしょう。

それでも日本は韓国には多大な貢献もしているわけです。日本の先人が懸命に韓国のために働いたのです。現在の韓国の歴史教育などのように日韓併合時代の日本の貢献を全てを否定するのは完全なる間違いと言えるでしょう。

例えば台湾は日本の時代の良いことも悪いこともきちんと受け止めています。日本が貢献した部分もあれば日本が台湾に悪いことをした両方があるでしょう。そして台湾は事実の両方を受け入れている。だからこそ将来に向けて協力体制ができます。韓国のように全てを嘘で塗り固めていては将来に向けての協力はできません。

時代 ハングル関係の史実
15世紀頃 ハングルの誕生
(朝鮮独自の文字が初めて登場)
李氏朝鮮時代 中国の従属化だったので一般には広がらず
(基本は漢字の文章のみ)
1886年 初めてハングル使用の新聞・公文書(官報)
(日本人の井上角五郎が協力)
1910年日韓併合 日韓併合時代には「漢字+ハングル」という形で普及推進
(学校も多く建設、ハングルの教科書も作られた)
1920年代から1930年代 ハングルで書かれたタクチ本が大流行。弾圧どころか娯楽もある時代だった
(参考:タクチ本(wiki))
1938年 朝鮮語教育が必須ではなくなる(任意科目に)
1941年 学校教育で朝鮮語教育がなくなる
(国レベルで禁止したわけではない)
1945年日韓併合終了 日本による関与がなくなる
1948年以降 ハングルのみ(漢字併用せず)での教育となり普及が進む

この一連の流れを見れば分かりますが日本が韓国におけるハングルの普及に努めていたことは明らかでしょう。

現実に日韓併合時代はハングルの普及は進んでいます。タクチ本(小説)という娯楽も普及しました。

識字率は思ったよりも上がらなかったかもしれませんが1941年に朝鮮語教育がなくなるまでは日本がハングル語の普及に多大な貢献をしていたというのは間違いのない事実でしょう。

終戦前に戦争が激しなり、学校教育で朝鮮語教育がなくなくなりました。でもそれだけでハングルを奪ったと言われるのはあまりにもひどい話です。

 

漢字併用(漢字+ハングル)から漢字が無くなる

その後、第二次世界大戦で日本が負けたことで日韓の併合も無くなりました。朝鮮は独立します。

 

漢字無しハングルのみの教育に以降

そこで今度はハングルのみの教育が行われることになります。日韓併合時代では漢字併用(漢字+ハングル)ということで教育がなされていたのですが、そこから漢字が無くなったのです。

1948年に施行された「ハングル専用に関する法律」では、公文書はハングルで書くと定められ漢字とハングルで書かれていた公式文書がハングルのみの表記に変わりました。

更に1970年代に当時の朴正煕大統領が漢字廃止を宣言して漢字教育は中学校と高校の漢文のみになったとされています。そして、1980年代には新聞や雑誌も漢字を使わなくなったのです。

漢字無しでのハングルのみの教育になったことで覚えやすく識字率が一気に上がったのは間違いのないことです(日本で言えば漢字なしでひらがなのみでの教育になたっと思えばいいでしょう。ひらがなだけならば小学生1年で基本的なことは全て覚えられます)。

これにより日韓併合時代よりも素早くハングルの識字率が上がったことでしょう。

(日韓併合時代にそれほど識字率が上がらなかったとして、日本がハングル教育に熱心ではなかったとする説もありますが、明らかな間違い。戦後、急に韓国の識字率が上がったのは漢字を無くしてハングルのみにしたからと考えるのが自然です)

その一方で漢字が無くなることの弊害もあります。

日本語は(漢字+ひらがな、カタカナ)ですが、現在のハングルはそこから漢字が消えたような状況ということです。覚えるのは簡単かもしれませんが同音異義語などが多数発生してややこしいというのは日本人ならばすぐに理解できるところでしょう。

また漢字を理解する人が減ったことで文化の断絶が起きる可能性もあります。過去の文献は漢字のものしかありません。このままでは韓国の歴史の調査は困難になるかもしれません。

 

ハングルを奪ったのではなく使うきっかけを作ったのが日本

そして第二次世界大戦後にハングルの識字率が上がったのも日韓併合時代に日本が韓国でほとんど使われていなかったハングルを普及させようと学校教育で採用していたからと考えられます。

完全なる普及まではできなかったものの、そのきっかけになったのは日韓併合時代なのは間違いないでしょう。

それまで光の当たらなかったハングルが素晴らしいとして教科書まで作って教育に本格採用したのが日本だったのです。

日韓併合時代が無かったらハングルは韓国で採用されなかった可能性さえもあるでしょう。それなのに日本がハングルを奪ったというのはあまりにもひどい話です。

 

日本側でも日本がハングルを奪ったと説明する勢力あり

残念なことに現代日本でも「日本がハングルを奪った」「朝鮮語の利用を禁止した」と力説する勢力があります。代表的なのは共産党の赤旗でしてそのままの記述があります。

ただしハングルを奪ったとするのはあまりにも不自然。ハングルの発行物など逆説する証拠がありすぎ。よって、これらの勢力の主張は教育現場での朝鮮語禁止を中心に言及しています(それだけでハングルを奪ったとするのには根拠が薄いのは先に紹介した通り)。

 

朝鮮語の禁止についての赤旗の記述

共産党の赤旗には「38年に朝鮮教育令の改定で、朝鮮語の科目が消えます。学校で一切の朝鮮語が禁止され、日本語だけで教育を受けさせました。朝鮮語による新聞や雑誌が発売禁止となり、言論がますます統制されていきます」と記述されています。

先にも書いたように戦争が激しくなった時期に学校で朝鮮語の教育が行われなくなった(1938年に必修ではなくなり1941年に科目から消えた)だけで朝鮮語を禁止したとかハングルを奪ったとするのはさすがに無理があるでしょう。

また先にもあるように1940年代にも普通のハングルの新聞が発行されていることが分かります。しかもかなり平和な内容です。言論統制されていたとするには無理があるように感じるところです。

抑圧36年、日本は朝鮮で何をしたか(共産党赤旗)

 

朝鮮語抑圧と日本語強要

学校の教育で朝鮮語抑圧と日本語強要が行われていたとする説を唱えるサイトもあります。

しかしながら普通にハングル文字の新聞や発行物があるわけで学校の教育現場で使われなかっただけで日本が日本語のみを強制し朝鮮語を抑制したという説もさすがに無理があるでしょう。

学校の教育現場で日本語教育の方が都合が良いとして朝鮮語ではなくて日本語で教えた事実はあるでしょうがそれだけで朝鮮語を抑圧したとするのは無理があるでしょう。

朝鮮語抑圧と日本語強要(1945年への道)

 

動画説明

動画でも「ハングルを奪った」という話はおかしいということで説明しています。ご確認ください。

 

「日本が日帝時代に韓国からハングルを奪ったという嘘」まとめ

韓国では日韓併合時代に韓国からハングルを奪ったということが信じられています。しかしながら当時の歴史や新聞などの資料、その他事実を見ればそれが嘘というのは明らかです。

ハングル関係の情報と問題点
韓国、北朝鮮 日本がハングルを奪ったという説が一般的
一部日本人 韓国人の意見に一方的に賛同する不思議な言論あり
(何故か日韓併合時代の日本の貢献を全否定する勢力あり)
史実 日本は奪うどころかハングルの普及に努めていた
(ただし終戦前の数年は教育科目から外していたのも事実)
問題点 史実の通りだと都合が悪い人が多い?
(歴史が歪められている)

この辺り、韓国では日韓併合時代に日本のお世話になったという話は都合が悪いのである程度は仕方がないかもしれませんが、日本がハングルの教育を含め韓国の発展に尽くしたのは間違いの無い事実。

教育現場でハングル教育を断念した時期もあり日本について全てを美化する必要は全くありませんが、まるで日本が朝鮮語やハングルを奪ったかのように表現するのはさすがにひどい。韓国が教科書にまで間違った歴史を書いて日本を悪者扱いするのはやめて欲しいところです。

それは日韓併合時代の日本を全否定する日本人にも同じことが言えます。共産党の赤旗の論説はその事例の1つで韓国側の主張をそのまま伝えています。もちろん韓国側の主張を掲載するのはいいのですが、議論がある部分についてはせめて両論併記すべきでしょう。ですがそういった努力は全く見えません。歴史を正しく見ようという努力が全く見られず何故か韓国側の主張をそのまま鵜呑みにしている。日本を悪者に仕立て上げようとしている。あまりにも不思議です。

現実には日韓併合時代の日本人は朝鮮の人たちのことを大切に考えて貢献しようと懸命に行動し働いていたケースも多い。そんなご先祖様の正しい正義感のある行動までを現代の日本人が全否定するようなことは決してあってはいけないでしょう。

もちろん情報は正しく伝えるべきであり過去問題があったこといついて正すべきは正すべきです。でも一部勢力の方々は何の精査もせずに何故一方的に日本や韓国に貢献したご先祖様を否定するのか?同じ日本人として許せないと強く感じるところです。

(この辺り様々なサイトなどの情報をまとめました。間違いがあればコメントなどで指摘していただけると助かります。必要に応じて編集します)

(その他の韓国の嘘や日韓問題はこちら⇒韓国の嘘、日韓問題シリーズまとめ

参考サイト
日本統治時代の朝鮮(wiki)
日本統治時代の朝鮮の教科書(針原崇志)
朝鮮語を「奪った」とは謬論だ 日本がハングルを学校で教えた(IRONNA2010年8月18日)
韓国で「漢字」が読めない人が急増 漢字廃止の弊害や影響は(ZUU online2017年12月4日)
朝鮮語抑圧と日本語強要(1945年への道)・・・日本がハングルを奪ったと主張するサイト
抑圧36年、日本は朝鮮で何をしたか(共産党赤旗)

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12 件のコメント

  • ハングル文字どころか、親日派の玄永燮や、3・1独立運動の元代表のひとり朴熙道でさえも、朝鮮語の全面廃止を日本の南総督に訴えている。
    反民族的な日本へのごますりではなく、むしろ朝鮮と内地の格差をなくそうとしたのだろう。それが朝鮮民族のためになると考えたのだと思う。
    ところが南次郎総督は「それは出来ない相談」と言って断った。単純に、現実的じゃないからだろう。
    もちろん、全ての朝鮮人が「内地化」を望んだとは思わないですよ。
    併合初期に10年間と、戦争末期では全然違うだろうし。

  • 未だにハングル語しか表記できない韓国
    中国はピンインという発音ができます。
    日本はひらがなやカタカナや漢字まであります。
    世界からは韓国のハングル語は読み方や発音が難しそうなイメージが定着してしまっています。

  • 日本では
    色々な言語が見られる中
    韓国ではハングルしかないのは
    やっぱり不便を感じます。

  • きちんと歴史を学ぼうと思う人がどれだけ韓国にいるんだろう。
    同じアジアでも北京語とかは確かに、と漢字を見てぱっと共感しやすいから少し学びましたがハングルは異質の文字になるから学びたいとはなりにくいですね。

  • 韓国は日本に対しての難癖レベルの攻撃がスゴいですね。さすが、反日で一致団結するだけあります。

  • そんな事まで嘘つくなんてそんなに日本が嫌なのかしらぁ。ハングル語なんて知らないけど。

  • 戦後韓国の識字率は、1948年から1958年で30%上がってます。ハングルだけの教育だから簡単だったのもあるでしょうが、個人的推測では自分の名前だけ書ければオッケーという、相当手を抜いた教育だったのではないでしょうか。
     日本、中国、ベトナム、インドなどの過去の識字率上昇スピードは、10年で最大10%が限界です。朝鮮戦争を挟んだ韓国の教育環境が最悪だった時期に10年で30%はあり得ないと断じざる得ません。我が国も先の大戦中に小学生だった方ですら、文字の読み書きが不得手な方がまだいらっしゃる状況ですし。

    • 確かに識字率上昇スピードがおかしいというのは一理ありますね。

      識字率の調査方法が変わった可能性などあるかもしれません。

  • 「韓国における漢字廃止政策」という論説で、
    1930年の識字率20%台
    1945年の識字率20%台
    1948年の識字率50%台
    1958年の識字率95%
    だったと記憶しています。

    日本が識字率をあげたのであれば、1930-45年のどちらも20%で、その15年間の上昇のなさが疑問です。論説によると大日本帝国が漢字を強要し、ハングル政策がなかなかとれなかったとのことですが、管理人さんはどうおもいますか?

  • 1904年だと、人口1200万人で近代的学校に通っていたのは500名程度。これが1910年でも2万人程度。
    これが1937年では121万人余になっていましたが、学齢に達した学童のうち33%程度しか学校に行っていなかった。また全生徒の25%が女子。これが1942年段階で、男子67.2%、女子29.0%、全体で48.2%というデータが残っています。識字率の学習は10年で10%上げられたら類を見ない大成功というものですから、1910年から1930年という20年で15%も上げられたのは、大変な成果です。
    ここら辺の就学率の困難さは、昔を考えればおかしくもなく、親が同意せず子供を労働力と考える風潮は、どこの世界でもあり。短い期間で就学させるように説得するのは大変だったことが伺えます。

    1930年のデータは、全体を総督府が調査したデータです。1945年は、そのデータをそのまま利用しているだけですね。
    1948年のデータは、1942年のデータに似ていますので、1945年から3年で就学率を1%程度しかあげていない、というデータです。
    1910⇒1937年と27年で30%ほど就学率をあげ、1937⇒1942年の5年で15.2%ほど就学率をあげています。

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